株式会社 津幡石油        (tsubata sekiyu)

石川県津幡町のガソリンスタンド レンタカー・コーティング・タイヤ保管・車検・各油種の配達もOK!

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The Lyrical Times

所さんの「世田谷ベース」

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毎週火曜日23時にBSフジで ONAIRされている「所さんの世田谷ベース」。カスタマイズの面白さをふんだんに紹介している自由気ままな台本のないアドリブ番組です。所ジョージさんは地上波でもレギュラー番組をお持ちなのですが、断然こっちの方が面白い。還暦を超えて、さらに冴えまくっている日常に羨望を感じます。もうだいぶ前ですが、所さんが熱中症になった回がありました。最初は調子よく当時の相棒、清水圭さんと自前のコンバーチブルでドライブしていたのですが、途中から「なんか気持ち悪いなあ」と言いながら運転するのです。休憩をとりながら何とか親戚の家まで辿り着いたのですが、冷麦を食べられないまま、ついにはダウンするという気が気でない放送回でした。その後ヤフーニュースで話題になったのですが、それから少したって、経口補水液「OS-1」のコマーシャルに「もう大変ですよ、大変」と話す所さんには笑えました。でも自分の失態体験を笑いながらネタにでき、コマーシャルに起用されるタレントはそんなに多くはいません。所ジョージさんは芸だけではない、人柄でも得している稀有な芸能人の一人です。彼のどこか一歩引いた距離感で仕事する感覚は学ぶ価値あり。熱中症になったお話。ユーチューブより。https://www.youtube.com/watch?v=AHqQaiLdBbY
2016年02月17日 13:13 |コメント|

ビジネスレンタカー考察

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ここで当店の部門営業をするつもりはないのですが、レンタカーの一般的概念、レッテルがあまりにも守旧的で、現代にマッチしません。新しいライフ&ワークスタイルをこちら側で提案しなければ世の中の活性化に繋がらないでしょう。震災の年の夏にデビューさせたこの業務の最大の理由は、ニッチ性が理に叶うプレゼンだったからです。ガソリンスタンドで利用するコンセプトは、何よりマルチ展開が大いに見込めたからでした。案の定、HPやSNSとポスティングを中心とする営業活動に、年々個人客(全国リピータの存在)の利用度が高まり、車両管理も表彰されるまでに成長したのですが、この後の展開(マルチの壁)に苦しむことになります。「自動車のレンタル=レジャー」という固定観念を打ち破る局面なのですが、東京のように公共交通機関の発達した都市と違い、日本海側の地方では移動に自動車は必須。しかもそれは今以って立派な財産という認識。しかしこれは現代ではネガティブ要素の勘違いでしかありません。特に法人で営業車を複数台所有している会社は1度原価計算すべきです。自動車の一日の走行距離は、運転時間×平均時速で求められます。走行時間が90分とした場合、平均時速が30キロメートルとすれば、走行距離は45キロメートルです。これを当店の料金表でみると「12時間内料金2,594円」となるのです。会社の営業車両の1日の走行距離をチェックして12か月計算すれば一目瞭然。税金と車検、燃料以外のメンテナンスも計算すれば途方もない経費削減(レンタカーは経費可能)に成功します。車両に乗るだけで管理しなくてもいいのですから、体裁に拘るより、「タイム・イズ・マネー」を優先しましょう。ナンバープレートの「わ」も意識する時代は終わりました。事業体によってはリース車両を唱える向きもありますが、年単位の契約約款に縛られるネガティブ性を考慮すれば、1時間からウィークリー、マンスリー契約まである、ここはレンタカーとなるでしょう。比較サイトです。http://kakuyasu-rent.com/otoku.html
2016年02月16日 12:59 |コメント|

大学時代のレジェンド

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普段は日曜日の夜などに出歩かない私ですが、大学時代のバンド仲間が来るとなると違います。昨年末の「スタジオDEカンパイ」は予想以上に私の心を潤わせ、運命と退屈な日々に色をつけてくれました。こうも立て続けにめぐり合うことに、何のチカラが働いているのかわからないのですが、35年という歳月は人生の集大成のど真ん中になるのでしょう。私たちはその準備に余念がありません。リズムギターだった伊藤は、計測機器会社の人事課に席を置き、卒業する大学生の採用担当者として国内の大学を駆け回る仕事。バンドでの自分を「エアギターの第一人者は俺」と言い放つ彼の風貌は、社会人としての知識と経験が滲んでいて感動すらおぼえます。居酒屋の椅子に座るや否や、バンド活動のヨモヤマ話に花が咲き誇ったのですが、途中矢も楯もたまらず、「リーダーの有谷に電話しよう」この私の提案に伊藤は「じゃあ山口と一美ちゃんは俺がする」カウンターの私たちは他の客に委細構わず大声になっていきます。伊藤の嬉しそうな横顔を見ながら、浜松にいる有谷にコールすると「賑わってるねぇ」どうやら事前に知らされていた様子。でも口調は相変わらず穏やかで冷静な、やっぱり学校の先生なんだなぁ。35年前から今でも彼は「MRS」というロックバンドのリーダー。話はお互いに影響を受けたアーチストたちの名前を言い合うのですが「スティーリー・ダン」「バドカン」「キース・ジャレット」。でも、そんな話などどうでもいいのです。私は35年経っても変わらない、この間柄に感激しているのです。伊藤は言います「いや、お前がプロ志向なのはわかっていた」「京王線で女の子にMRSの人って声掛けられた」「有谷がドンドン上手くなった」「MRSを一番理解していたのは彼だった」「できれば一緒にプロ・・・」私は言いかけると一気に大吟醸の冷酒を飲み干しました。時間が止まってくれないだろうか。時の流れを止めたい。「歌を捧げて」ユーチューブより。
https://www.youtube.com/watch?v=E7QcCY7Wb_s
2016年02月15日 16:52 |コメント|

正直者がバカではなくなるのです

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申年は「波乱の年」と言われて迎えた2016年ですが、こうもメチャクチャなスタートでは叶いません。全くもって日々における秩序は感じられませんし、世界は恣意性の強い(覇権争い)世の中に成り下がった様子です。世間は、ITを中心にしたメディアの即効性を利用する形で卑しさ丸分かりの話題を、これまた卑しい業界、組織、個人が甘い詰めのまま提供するものですから、その「クソ話」は一気に津々浦々に拡散され騒動となります。私達受け手側は、どの話があざとく、さもしい嘘なのかを判断しきれないまま、今度は半日もしないうちにその出来事がひっくり返ってしまうことに、もはや何もかも信用できなくなったのです。こんな世の中になった原因は何なのでしょうか。政治から経済、金融、スポーツ芸能、食品、医療、教育や製造サービスという、人間社会が生み出したあらゆる産業構造が歪み、それは壊れたようです。私は以前から新しい秩序の構築を念じていましたが、こうも早く簡単に壊れてくると、すべてのジャンルで世代交代が急務です。件の育休議員が起こした問題も、与党の幹事長が「脇を締めてかかれ」とした檄は、裏を返せば不倫の肯定に繋がりかねません。これに対して有権者の若い女性の声は「これはダメです。議員失格で辞めてほしい」こちらの文言を幹事長が話すべきでした。つまりあべこべなのです。日本の中枢にいる世代はデジタル思考を理解できず、その世界を学ぼうとはしません。20世紀の常識であった昭和的解決はもう通用しません。YES(良い)かNO(悪い)のどちらかで判断しなければ、前進も信頼も得られなくなったことを理解すべきです。規制に守られた業界はいち早く舵を切り替えて、TPPに備えましょう。発令されてからの対処では遅いですし、私たちも巻き込まれていくことを考えれば切実です。
2016年02月12日 12:42 |コメント|

記念すべき第1弾「フランク・シナトラ」

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マスコミの世界に入って最初にツアーの告知CMを依頼されたのはフランク・シナトラでした。30秒の、それも超大物のCMに正直ビビりましたが、代理店の「早く、うまく、安く」というリクエストに何とか応えたつもりでした。これを境に30を超えるアーチストの告知CMを創れたのですが、シナトラから最後のストーンズまではあっという間でした。でも、この私にとっては何物にも代え難い大切で貴重な仕事になったのです。シナトラ ジャパンツアー告知CM。ユーチューブより。
https://www.youtube.com/watch?v=gtmMb3fOY8k
シナトラとジョビン「イパネマの娘」を共演しています。ユーチューブより。
https://www.youtube.com/watch?v=NldPFVKYmiw
2016年02月10日 19:35 |コメント|

ドリフに入りたかった頃

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子どものころからサービス精神に溢れていたのは一重にTBS「8時だョ!全員集合」に憧れていたからでした。私と同世代で嫌いな人は誰一人いないと断言できる昭和のオバケ番組。番組全体の平均視聴率は27.3%で、1973年4月7日放送の50.5%が最高視聴率なのだとか。実に国民の半分が視聴したことになるのですが、現在では全くもって不可能になった、命が削られるほど緊張する「生放送」を続けられたのは、当時の芸能人やスタッフの実力と一体感がいかに優れていたかを証明するものです。男性ゲストの最多は歌手の西城秀樹さん。確かドリフターズと同じプロダクションだった思うのですが、西城さんは当時アイドル歌手として、飛ぶ鳥を落とす勢いの人。今の感覚ではアイドル歌手がコントをするという土壌がありませんが、当時の日本は高度成長まっしぐらな時代でしたし、とにかく視聴率がゴールデンでNO.1を制覇し続けていたのですから、出演することが顔と歌を売る、てっとり早い方法だったのでしょう。同じく女性の最多は小柳ルミ子さんですが、お二人の活動状況が最近マスメディアで見受けられません。西城さんは脳梗塞を何度か罹患しているのでリハビリが大変かと思います。この私と同じジェネレーションなので、もう一度復活した姿を見せてほしいのですが、小柳さんに関しては、欠片も話題に上がりません。「8時だョ!全員集合」ユーチューブより。https://www.youtube.com/watch?v=DE-D-1nbXcA
2016年02月10日 17:01 |コメント|

ちょっと種類の違う人生

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今から10年前に父を亡くした私。故人の遺志を引き継ぐことの難しさを、身を持って体感する日々が続いているのですが、亡くして間もない頃は特に戸惑っていました。困難にぶつかった時、思うことは「この決断が正しいか否か」なのですが、故人を思いながら尋ねても、当然納得する答えなど聴こえてはきませんでした。あれから10年経ちましたが、私は曲がりなりにも我が身の中で納得のいく決断が出来ているのでしょうか。今年の初め、TVに出始めの頃から気になる存在のジャーナリストであった竹田圭吾氏が51歳の若さで亡くなられました。「この人の着眼点は変わっている」TV出演していた氏のコメントする内容はいつも私の考えと違っていました。どういう切り口で話すのか、だんだん興味を持って彼の言葉を聴くようになります。人間は自分と同じ思想を持つ人には安心はするものの、いつか飽きてしまうものです。同じ匂いのする人を嗅ぎ分ける能力が人一倍強い私にとっては全く対極の人物。最後まで私とは違うスタイルに驚かされたのは、病に冒された時の言葉です。「ちょっと種類の違う人生が続いてるだけなんですね」人と違うことに喜びを感じる私も、この言葉には「脱帽」と「尊崇」の念を持ったのでした。
2016年02月09日 18:08 |コメント|

「木枯し紋次郎」という生き方

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「あっしには関わりねぇこってござんす」このセリフと、長楊枝を咥えた渡世人は、1972年に大ヒットした時代劇「木枯し紋次郎」。つい先ごろまでCS放送されていたのですが、製作はフジテレビでした。第1弾の大ヒットで「続・木枯し紋次郎」さらに「新・木枯し紋次郎」は東京12チャンネル(現テレビ東京)で製作されましたが、最高視聴率38パーセントを記録した第1弾を超えることは出来ませんでした。リアルタイムに見た頃の私の印象は、時代劇の定番「勧善懲悪」とは切り口の違う脚本と、意表を突いた主題歌のコンセプトでしたが、同時に、主人公の「関わりたくない」のに「関わっていく」「事の成り行き」と「義理と人情」の心理描写に共感を覚えた記憶があります。43年後に再び見るきっかけになったのは、現代とは大きくかけ離れた日本人の魂のようなものを確認したかったのでしょうか、視点の違った「勧善懲悪」劇に私は再び気持ちを掴まれ、最終回まで見てしまうことになったのです。さて、現代のTVドラマは何がテーマになっているのでしょう。TBSの「半沢直樹」や「下町ロケット」は背景や人物設定は違っても「勧善懲悪」がコアテーマでした。日本人は「いにしえ」の時代から、この「勧善懲悪」がDNAとして確立されているのでしょう。日本のTV局は、まだまだ現役で仕事をしている、このクラシカルな世代に「元気」と「勇気」を与え続けるドラマを提供していくべきで、DNAを発奮させる「責任」と「使命」があると思うのです。「木枯し紋次郎」OP曲。ユーチューブより。
https://www.youtube.com/watch?v=oIG3nuknBU8
2016年02月08日 17:51 |コメント|

DiscoとBubbleとRoppongi

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1970年代後半の東京はディスコブームの真っ盛りでした。懐かしいところでは「MUGEN」「TSUBAKI HOUSE」80年代「MAHARAJA」は六本木、90年代は「JULIANA'S TOKYO」辺りが有名ですが、TVでは「ソウル・トレイン」映画では「サタディ・ナイト・フィーバー」の大ヒットが全国に火をつけたのです。1977年12月にリリースされたビージーズの「ステイン・アライヴ」を聴かない夜はなかったほど。まさに日本中の多くの若者(私もその一人)がディスコに明け暮れた時代でしたが、それと時を同じにしてリリースされたアースウィンド&ファイアーの「太陽神」はその現象をさらに燃焼させ、90年代のバブルまでを牽引した秀逸のアルバム。その象徴であったEW&Fのリーダー、モーリス・ホワイトが2月3日に74歳でこの世を去りました。アルバムジャケットは日本の長岡秀星氏の手によるものですが、氏もまた昨年の6月に他界しています。1978年リリースの「セプテンバー」は彼らの最も代表的な曲の一つですが、フィリップ・ベイリーとのツインヴォーカルを前面にフィーチャーした、ダンスとホーンセクションは見事にショーアップされ、トータライズされたグループとして日本では米国以上の人気を誇っています。「セプテンバー」ユーチューブより。https://www.youtube.com/watch?v=Gs069dndIYk
2016年02月05日 15:47 |コメント|

合否電報「サクラサク」

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そのフリップは桜の開花予想を告げるものでしたが、もうそんな時期ですか?天気予報士は明るい表情で説明しますが、この私は、ビジネス上「ちと早いなあ」となるのです。TVの影響力ほど強烈な媒体はありません。この部分はインターネットでも叶わぬところですが、大衆はその日その時のTVアナウンスでマインドを変えられます。非常に簡単に見る側を「思考停止」に出来てしまうことに旨味を感じた媒体の権力構造を、そろそろチェンジ出来ないものかと思うのです。ITがあと10年もしないうちに、この分野もガッツリ奪うのだとしたら、どういう社会構造が描かれているのでしょうか。ところで桜の開花の話から思い出したことがあります。今から39年前のこの時期は、私は都内の志望大学を受験していました。当時の各大学の正門には、電電公社(現NTT)から依頼されたと思われるアルバイトの学生が首からぶら下げた申込み用紙を掲げて「合格電報如何ですかぁ?」と叫んでいました。最初に登場したのは昭和31年の早稲田大学で、そこで使われたのが「サクラサク/サクラチル」だったそうです。それは昭和50年代まで続くのですが、各大学でその合否文章は違いました。お茶の水女子大学では「オチャカオル(お茶香る)」不合格「コノメドキマテ(木の芽時待て)」金沢大学は「兼六園の桜咲く」不合格「日本海の波高し」面白いところでは、大阪大学の合格電報は「ニュウシ ハエル」というもので、歯学部だけの電報内容らしく、入試と乳歯をかけたものだったとか。さて現在の合否確認は、SNSで瞬時に送信されるのでしょう。
2016年02月05日 15:46 |コメント|

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