1977年夏、飯場のアニキと山中湖
「東京は8月1日から今日まで14日連続で雨が降っています。8月の東京で、こんなに雨の日が続くのは1977年以来、40年ぶりのことです」お天気情報サイト「tenki.jp」のコメントに複雑な気持ちになったのは、あの夏の記憶が蘇えったからでした。今から40年前の1977年の春、横浜の予備校に通うために上京した私は、神奈川県川崎市内のアパートを紹介されます。共同水道、共同便所の説明に驚く間もなく真鍮のドアノブを開けて見る四畳半は、木枠の窓と押し入れが1つ、廊下側にある磨りガラスのピクチャーウィンドウが時代を象徴していました。ポタポタ漏れる、これまた真鍮の蛇口が3つある水道場を覗くと、捻る度に水がバシャバシャ跳ねて(シンクがコンクリート)おつりが来ます。辛うじて2か所ある便所は、上部に貯水タンクが設けられているタイプで、上から釣り下がっている紐を引けば水が流れるもの。都会の生活に憧れを抱いていた私の夢は儚くも散ったのでした。「都会のアパートって食堂つきが多いのかな」表の看板を見上げながらため息をつく私の住むアパートは、テレビドラマさながらの大衆食堂です。夫婦とその家族が経営している食堂は定食がメィンでしたが、オーバーに言うと昔の飯場を想像させる佇まいでした。(飯場とは、土木工事や建築現場で働く作業員の給食及び宿泊施設のことをいいます)今ではネガティブな印象を与えるので死語になった飯場ですが、朝夕の食事がついて4万円の家賃なら垂涎物件だったでしょう。親からすれば安全安心に格安のオマケがつく場所に押し込まれた18歳は、北陸の田舎者というレッテルを張られないように慎重に生活したのを憶えています。そんなこんなで迎えた初めての夏のある日、飯場にメシを食べにくる近所のアニキが私に声を掛けてくれたのです。「おい浪人、いつもいつも勉強じゃぁ飽きるだろう?」顔見知りの一人が食べている私の肩を叩きながら続けます「ハニカンでんじゃねぇよ、どうだ山中湖に連れてってやろうか」修理工場で働く天然パーマの兄チャンの誘いに乗ったのが8月初旬。私にとって山中湖は初めての場所でしたが、1泊2日の旅は今でも新鮮に脳裏をよぎります。あれから40年、ええ?長雨の話ですか?当時の天気を憶えられているような出来のいい頭なら、今とは違う別の人生を歩んでいるはずです。「定食屋コント」
https://www.youtube.com/watch?v=3Nftw-GJOtA
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