「東京流れ者」鈴木清順の醍醐味
鈴木清順さんが13日に他界していたことが報じられました。映画監督として数多の作品を世に出して、揺るぎのない地位を築いた名監督です。私が清順監督を身近に感じたのは、1988年東京五反田で音楽制作会社を起業する直前にフリーで活動していた頃でした。あるきっかけで大手広告代理店の電通から仕事をいただけるようになった私は、チャンスを2倍にするためにスポーツ文化事業局に通い始めます。当時はまだ築地にあった電通本社ビルは、数えきれない関連会社や子会社を率いていましたが、「スポ文」から行くように言われたのは「プロデューサーズ・アンド・カンパニー」という赤坂にあるTV番組企画制作会社でした。映像機材が何でも揃っていたプロデューサーズは、夜中に行っても誰かがオフライン(粗編集)している風通しのいい会社。30歳の私が馴染むのには時間が掛かりませんでしたが、鈴木清順監督の事は程なくクリエイターたちからレクチャーを受けます。1956年日活からデビューした清順監督の作品は、マスコミから「映像美」と称され、その斬新な色彩感覚は見る側の言葉を失くさせました。特に66年渡哲也主演の舞台演出的な映画「東京流れ者」は、今でいうミュージカル要素充分の映画でしょう。全部が赤で覆われたラストシーンでのアクションは身体が吸い込まれそうで心が縛られます。67年日活から「訳の分からない映画ばかり作られては困る」と同年の「殺しの烙印」以来メガホンを封印されましたが、77年「悲愁物語」で復帰、 80年「ツィゴイネルワイゼン」や81年「陽炎座」等で賞を獲得しますが、私的には何と言っても「東京流れ者」が圧倒的に群を抜いた映画で、今の若い世代に是非観てほしい秀逸な作品です。24日公開の映画「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督(32)は1月の会見で、影響を受けた作品に清順監督の「東京流れ者」を挙げました。合掌。
https://www.youtube.com/watch?v=ccU416_mu7I
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