Pの画とDの画
「仕事を兼務出来れば予算はダブルで入る」私の都合のいい考えなど通じる訳はないマスコミ業界にあって、映像と音楽は共にヒエラルキーの頂点に君臨していました。音楽制作会社を起業したての頃によく会話のテーマになったのは「プロデュースとディレクションは兼ねられるか」でした。NHKでは兼ねて出来ているとした、映像ディレクターで現在は沖縄にいる彼の意見も「でも民間では無理だよね。NHKは予算の後ろ盾があるけれど、民間は利益優先で作品つくらないとメシ食っていけないもんな。自由に撮影やスタジオワークができないディレクターはツラいよ」愚痴をこぼすためによく飲みに集まったのが、青山は骨董通りにある「エディ」というBarでした。その後、PとDを兼務する映像の仕事を実際に経験した私は、彼の言うとおりスタジオの中で葛藤します。「この編集にあと2時間しか費やせない。でもここの部分を理想形にするには少なくても3時間以上いる」エフェクトを使えば納得するDの画になるのですが、予算は確実にオーバーします。「どうします?」エンジニアから判断を迫られた私の指示は「カットつなぎでいきます」利益重視の編集は結局Pの画になったのでした。自分自身に折り合いをつけることの難しさを肌で感じた私は、その後プロデューサーの立ち位置で現場仕事をすることを極力避けます。本業である音楽制作も同じで、打ち合わせで一番確認することはコンセプトと共に曲数。作曲家に支払う作曲料はほぼ曲数で決まりますが、音楽の内容如何によっては、トラックダウンに多くの時間を要する想定で交渉しなくてはいけません。私自身その時はスタジオに出向いて作曲家と一緒にTDしたものです。私たちの仕事は常に時間との闘いで、すべての中心軸に時間が置かれていました。現在の私がいつも人に話す時に使う「タイム・イズ・マネー」の概念はその頃に培われたものです。唯一例外だったのは「老後の楽しみ」として制作していた告知CMで、スタジオ料その他の経費はTV局側から支払われていたので、予算を気にせず制作できたのです。私の役割は、1枚でも多くチケットが売れるための印象性に拘るディレクションにあり、来日ミュージシャンを愛情込めて表現できたことは、今でも納得いくDの仕事として記憶に残っています。
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