エースの条件
少年キングという漫画誌が1969年から連載していた、水島新司作「エースの条件」という野球漫画がありました。タイトル通り、ピッチャーが中心の高校野球漫画でしたが、その実、切ない人情話だったことを憶えています。主人公はそんなに鉄腕投手ではないのですが、チームのために、自分のために、世話になった人のために努力する姿が感動を呼んでいました。この私が「エースの条件」を読むのは決まってムシャクシャしている時でした。しかもいつも寝る前だったのは、きっとBADな日だった一日を「エースの条件」を読むことで、明日のチカラにしたかったからでしょう。チームのエースとなる為に一生懸命努力する主人公を「茨の道」=「世間」が容赦なく苦しめていくストーリーに、10代の心は揺さぶられながらも人格形成の基礎固めに一役買っていました。それほどにこの漫画は、日本のヒエラルキーを野球にコンセプトさせて象徴的に描いた風刺的作品だったと感じています。そんな私が思う、最近のスポーツにおける不幸は(特にチーム競技)ビッグマウスな人が中心になってしまっていることです。これは21世紀の社会性が起因しているのでしょうか。その中心選手が出場しないゲームに限って、チームの合理性にあふれたゲーム展開が見られるのですが、「茨の道」なる世間(主にメディア)は一つの疑問も投げかけません。中心選手に向けられるのは常に「寛容」なのです。最近でもチーム競技において、突出した選手のインタビューや記者会見を見る機会がありましたが、「自慢」のパレードで「謙虚」「謙遜」は溜息さえもありませんでした。私的には「エースの条件」全巻を送って差し上げたいのですが、受け止められることは微塵もないでしょう。懐かしアニメ「スカイヤーズ5」。
https://www.youtube.com/watch?v=pRMLED1chJw
コメント