トーキングブルースと芸NO界
先日、報道ステーションを降板した古館伊知郎さんがゲスト出演した「ぴったんこカンカン」は、司会の安住アナウンサーのプライドを垣間見た、久しぶりに感心した番組でした。古館さんがかつて得意にしていた芸(一人芝居型講演会「トーキングブルース」)を、本人の目の前で一言一句噛むことなくやり遂げるのですから凄いの一言で、アナウンサーの真骨頂を見た思いでした。その古館さんが、司会を務めていたCXの「夜のヒットスタジオ」を1987年に一度、副調整室(通称サブといいます)から生放送を見させていただいたことがあります。まず、サブ室に入るや否や、アクションさながらに大きい声でCUEを出すプロデューサー(以下P)にビックリさせられました。スタジオクルーは、そのインカムから来る指示で動き回るのですが、その光景はTVドラマさながらで、度肝を抜かれたことを昨日のように憶えています。80年代の芸能界は、目指す者にとって憧れと羨望の最後の時期だったように思えます。芸能事務所は将来のスターを一生懸命探し、歌手や俳優、タレントを目指している出演者側は、それこそ歌って踊れて演技が出来る事が当然でした。製作側に必死に売り込む方の打ち合わせに参加したことがある私は、手っ取り早く、無名タレントを大物タレントや俳優等にブッキングさせられないか問われたことがあります。「スキャンダルを仕掛けるのですか?」相手のPは私の目を見ながら「写真週刊誌に知り合いいない?」「私は広告制作なので・・・」この会話はこれ以上発展しなかったのですが、1990年代バブル期は手間暇かけずにスターダムにのし上げるための画策が随所で行われていたのです。今思えば現在の芸の無い(NO)世界の根源を作ったのはこのバブル期からなのかも知れません。トーキングブルース 「ドリンク編」。
https://www.youtube.com/watch?v=Va3iwNLd8lU
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