CMがわからない
以前はローカルCMのコンセプトが不明瞭で意味不明なものが多かったのですが、最近は全国CMにもそういったコンセプトの作品が見受けられます。最後のテロップ(Television Opaque Projector)で企業広告主が分かるなんてナンセンス極まりない。あるCMは、ファーストカットで「シャンプー」、2カット目からは「コーヒー」、そしてラストカット前で初めてコーヒーでもシャンプーでもない「濡れタオル」でした。最後まで見てもよく理解できないCMって何でしょう。それはオチには程遠いフラストレーションの塊にしかならないのです。私がリスペクトしてマスコミ業界に潜り込めた日本の1980年代は、今とは比較にならない程に情報がありませんでした。世界はおろか、国内の文化教養などは、本を読んでも分からないことが多く、企画書にするには人脈や閨閥を頼らざる得ない部分が多々あったのです。ですからマスコミ全体を俯瞰で見ればごくごく小さな集団が日本の文化を形成(リード)していたわけで、人脈や閨閥のない者は極端に言えば不必要、又は俗に言う「パシリ」あたりで終わるのです。あれから30年が経ち、世はインターネット時代、クリックするだけで商品が手元に届き、疑問や情報は求めれば、瞬時に答えが目の前に飛び込んできて、誰に頼ることも頭を下げる必要も無くなりました。一言で言えば自由な発想さえ豊富であればリアルタイムに形(作品)に出来るのです。どなたがUPしたのか、過去の見てみたいCMやビデオ作品もユーチューブでUPされだしました。今、CMをつくるクリエイターとユーチューバーの大きな違いは「好奇心」や「夢」の育み方と「利害」なのでしょう。完成度は高い「マーロ」CM。
https://www.youtube.com/watch?v=CxsL39FdVxI
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