宰相と言われた男
裏切られることが多くなった世界において、人間が考える将来とは何でしょうか。日々、信頼が損ねられる社会の背景を精査していかなければ前進はできません。その原因の一つに経済格差が言われていますが、戦後昭和の高度成長期時代に1億総中流社会を標榜していた日本は、GDP世界第2位の経済大国にまで登りつめます。その屋台骨をゆるぎないものにした人物が自民党第64代の総理大臣「田中角栄」その人です。1972年の夏に就任したものの2年間という短い政権に終わったのですが、エピソードが星の数ほどもあり、そのどれもが情にほだされる話ばかりで、まるで戦国の世を再現したかのような奮闘ぶりは「ブルドーザ」の異名そのものでした。今またその「田中角栄」のブームが訪れていますが、これは何を意味するのでしょう。いくつもの書籍が出版されている中で、石原慎太郎氏の著書もあることに「きっと両者の中身は結構共通点があったのだ」加えて「人間も最晩年になれば、政治のライバルに対して最大の賛辞を贈るものなのか」となるのですが、田中角栄が発した格言で一番好きな言葉「必要なのは学歴ではなく学問だよ。学歴は過去の栄光。学問は現在に生きている」さらには「失敗はイヤというほどしたほうがいい。そうするとバカでないかぎり、骨身に沁みる。判断力、分別ができてくる。これが成長の正体だ」我々IT社会に生きる者全てがもう一度、田中角栄の格言を生かすのであれば「行き過ぎた自由と便利は人間を無能にこそすれ、考える葦にはなりえない」でしょうか。信頼関係がおろそかになっているのは「尊厳」がないがしろにされているからです。田中角栄の演説。
https://www.youtube.com/watch?v=BC28FAf460U
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