パックス・ジャポニカ
今日は年度末の31日です。先週から今週にかけて転勤の挨拶に何人かの人が私に会いにきました。転勤人を労い励まして送り出す中で、印象に残る人との思い出は尽きませんが、年齢を重ねてくると、人生における出会いと別れに一抹の不安を憶えるのです。「1年ごとの行事をいつまで続けられるのだろう」若い時には感じなかった特別な感情です。今の日本は昭和時代の頃と大きく様変わりしました。平成も四半世紀が過ぎて、21世紀の世界はネット上で一言つぶやくと瞬時に国家が変わるような時代です。今朝も支度がてらに見ていたTVでは「68歳の県議会議員の暴言」がどうのこうのと騒いでいます。これに対して思うのは「昔ならだれも問題にしなかったこと」だけど「当事者はどこが悪いのかと困惑しているだろうな」しかし「昭和的思想で若者に話すことはもうご法度なんだ、オッチャン」これが現状なのですが、県議は会見を開くといいます。ここは「せっかく築き上げた名誉と地位が台無しになるから、黙ってパッと甘利大臣のように辞めたほうがいいよ」とアドバイスしたいのですが、きっと無理でしょう。今、50代以上のアナログのみしか理解できない人間が晒し者になっています。戦後生まれの第1.2世代は、正真正銘の昭和人間で「義理と人情」を叩きこまれた世代。ツィッターやフェイスブック、ラインなどを会話のツールにしている第3.4世代以降の日本人に、昭和的な「ものの言い方」は非難されることはあれ、理解されることはありません。やり玉に挙げるメディア自体にも「違和感」と「疑問」と「諦め」を感じてしまう私たちの世代は、2020年の「東京オリンピック」閉会とともにIT社会から引導を渡されますが、該当する大多数の昭和人間はここで「潔く」身を引きましょう。欧米は「パックス・ジャポニカ」を待っています。
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