年収の39%が教育費!
私がまだ学生の頃は最近のような「教育は年収による」なんて時代ではありませんでした。勉強のできる成績の良い学生は、自ずとエリートの道が約束されていましたし、私は「十把一絡げ」の存在で将来の就職先も限定されていたといっていいでしょう。今も昔も情報がモノをいう時代なのですが、当時の親や教師は情報に疎かったのでしょうか。日本海側の北陸地方は、元々保守的で封建的な色合いの強い土地柄です。親の思い通りの進学校や就職先に行かせることが第一義、それで地域とのバランス、家族の絆を紡いでいたのでしょう。自分の子を社会の公器に、それも都会に差し出すなんて思う親は皆無に等しかったのです。「自分たちだけの利益を追求するのではなく、社会全体・公の利益にも適う」ためにわが子を旅立させるなどは笑止千万。これが日本海側の放つ文化なのでしょう。1988年、音楽制作の会社を起業してやや経った頃に、公文教育研究会という学習塾の商品開発局が企画した「幼児教育ビデオ」の仕事に参加できる機会に恵まれました。公文式学習を英語中心に算数や国語も含めた教室用の教材ビデオで、それはシリーズ化され公文式幼児教育の要になったのでした。今でも教室で借りたり購入も出来ると聞きますが、そのほぼすべてのビデオに関わることができました。「星の子クーモンのイングリッシュマーチ」から「くもんぴあ」「かずとかなのウキウキ かずだいすき!ことばたんけん!」そのすべての音楽テーマから劇伴、そしてチャンツ音楽を担当することができたのです。私にとっては初めての教材の仕事です。子供の頃の勉強やお稽古、○○教室等が思い出されて、仕事として馴染んでいけるのか自信がありません。いくら幼児用といっても英語はネイティヴなのですから、打ち合わせは当然英語の発音やアクセントに沿ったチャンツ音楽を要求されます。私の英語力と作曲家たち(この仕事は大変ヘビーでしたので複数の作曲家を参加させました)がチャンツ音楽をまともに作れるのか心配だったのです。だって出演者全員が外国人で、歌い方の指導及びコツを教えるのは私、この時に和製英語がどれだけ多いかを知ることになるのですが、肝心の歌入れは、お互いに相手をリスペクトできるプロフェッショナルばかりで安心したのでした。時代は21世紀になりましたが、相変わらずネイティヴな英語が短縮されてしゃべられています。これではいつまでたっても日本人は英語で話せませんね。
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