是非に及ばず
HMV、25周年のお祝い話があらぬ方向にいってしまいましたが、私はその後事情により、96年以降はマスコミ業界と石油業界の二足の草鞋を履く羽目になります。でも映像音楽の仕事は、2002年まで続けることができました。(会社はまた出来る様に休眠)これも一重に周囲の人たちの支えのお蔭です。お礼を言えるのなら、オファーをいただいた広告業界の方々、テレビ局やプロダクションの方々、私をバックアップしてくれたスタジオスタッフ、そして私のパートナーに感謝です。マスコミ業界がこの私に教えてくれたことは「常に学習せよ」。業界は物凄く知能指数の高い集団でした。打ち合わせも企画書をサラッとレクするだけ。「一を聞いて十を知る」とはこのことです。相手は、当然全てを理解しているのが当たり前で話すのですから、知ったかぶりは通用しません。深夜、目黒通り沿いのファミレスで何度、案を書き直したことか。また、巷でよくいうコネとか、紹介とか、先輩後輩の学閥があったのでもありません。ただただ、業界にあこがれていただけ。それが、ひょんなきっかけ(運とツキに恵まれただけなのですが)で、裏方の仕事にありつけたのでした。思うにマスコミの世界で得た仕事は、わたしにとっては大活劇の冒険物語みたいでした。もう、あのような時代は二度と来ないのでしょう。それはバブルの悪戯だったとすれば、納得するのかなあ、仕方ないか。現在は、GSの雑記帳の中で石油業界のことをエグく記していますが、ここらで自身のスピンオフも終了にしないと「自慢話ならいい加減にしろ」なのです。(画像は当時の名刺)
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