亡父の流儀
父親の目の前にあるのは幾重にも重なっている重箱である。ある日、横須賀航空隊、通称予科練場に御曹司の母親が風呂敷包みを手にしながら面会に来たという。風呂敷の中身は重箱のお弁当であることは匂いと形で分かったらしいが、御曹司と母親の仲の良さは父親の目からもはっきりと伺えたそうだ。「いつもうちの子がお世話になっているようでありがとうございます。これ、良かったら食べてください。」父親が自分を苛めから救ってくれていることを手紙にしたためて東京にいる母親に送っていたのだろう、母親は一人息子の御曹司の顔を見に来ることと、父親にお礼とお返しをしにはるばる横須賀まで面会に来たのだ。しかしながら、父親は重箱のおかずが豪華なことに心底驚いたという。「見た事もないおかずが重箱に詰められて、お重が三段やった。メザシと梅干だけやった儂の親がつくるおかずとは段違いなことに流石東京は違うと思った。」「御曹司が一番嬉しかったんじゃない?」父親は私の言葉に「そうやなぁ・・・」と頷づくと暫し黙り、そのゴツゴツした指に挟んだ煙草をクリスタルの灰皿に潰した。「御曹司のお母さんはその後もちょくちょく来たんじゃないの?」父親の次の言葉を聞きたくて誘い水をかけたが、父親の視線は灰皿に向かったまま話がそこで止まった。私は父親の予科練話が佳境に入っていることに前のめりになっていたが、父親は頭の中で何かを整理しているように見えた。テーブルを挟んだ二人の距離は急に遠くなる。「それでどうしたの?その母親からお小遣いでももらったんじゃないの?」私は話のオチを求めてチョッカイをかけたが、漸く顔を上げた父親の表情は見た事もないような哀れな顔だった。「後にも先にもそれが最初で最後になってなぁ・・・。」そう言うと堰を切ったように父親が話した結末は私の心を凍らせる。横須賀にある予科練生の父親と御曹司はその後も戦闘訓練に明け暮れていたそうだが、御曹司は相変わらず他の練習生から苛められ、父親がその都度違う練習生からボタンや帽子を取り返しては彼に渡していたという。御曹司はその度に父親に礼を言ったそうだが、ある日の朝、いつものように訓練をしていた練習生の頭上をB29爆撃機が飛来する。「全員伏せろー!」上官からの指示に父親は起伏のある土の下に潜ろうと穴のある方に走ったが、御曹司がついてこない。父親が顔を上げると導線上に伏せている彼の戦闘帽が見えた。その間にもB29の機銃掃射攻撃が予科練生たちを襲う。「穴に伏せないとマズイ。」父親は御曹司のいる所まで走り寄ると、彼の身体を抱えて一番近い穴に飛び込んだ。「B29が飛び去る時間がえらく長く感じてなぁ。」掘られた穴に飛び込んだ二人は敵機の音が消えるまで動けなかったと父親は回想した。「起伏のお蔭で二人とも助かったわけだね。」私は声をあげた。「いや、助かったんは儂だけや・・・。」「オヤジだけ?御曹司は怪我したのか。」「いや、儂の下で死んどってなぁ・・・可哀相に足の太ももに銃弾が入って突き抜けとった。」黙り込んだ私に父親はさらに畳み掛ける。「太ももに入った弾はこんな小さい穴やったけど足の内側を見たら膝頭まで裂けとった。弾は錐もみ状に出ていくからな。」そういうと最後に「何で下にいた奴の足に当たったのか、自分の足に当たった方が良かったかもしれんと思ってなぁ・・・。」─ この戦争話はここで終わる。その話を聞いてから40年が経ったが、父親は2005年の夏に他界した。今でも時々この予科練話を思い出すのは何故だろうか。冬の夜空を見上げてもそこはあまりに広くて遠い。「オヤジ、そこで御曹司と会えたかい。きっと御曹司の傍にいる母親はもう一度オヤジに礼を言うよ。『B29から息子を庇っていただいてありがとうございます。』ってね。」誰かを幸せにするために人間は生きている。
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