同世代の面汚し
忘れてはいけない事があります。2007年福田内閣は国会運営に苦労を強いられていました。良くニュースで「私も苦労してるんですよ。何とか理解して下さい」と民主党を中心とした野党に懇願していたことが思いだされます。そして与野党がねじれた国会は「決められない」まま時間だけが過ぎていくことに国民は自民党に愛想を尽かせ、民主党に政権を委ねたのです。しかし当時の小沢一郎氏から指摘された「幼稚な政党」は2012年12月の選挙で自民党に政権を奪われることになります。約3年3か月ぶりに与党に復帰した安倍政権は「決められる政治」に邁進するべく国会の在り方を見直していきます。「出来レース」のような「政府に強い国会」から「無力国会」に変身させた安倍首相は2020年までに憲法を改正するという提言を示唆するまでに増長しました。首相は改正項目として9条を挙げ「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」と新たに3項の必要性を示したのですが、ここまで「決められる政治」を実践されていくと、流石の野党やリベラル色の強いマスコミはそのイデオロギーに嫌悪しだします。加えて国民の世論調査をみればYes.Noがイーブン、アマノジャクの多い日本人のことですからベクトルが反対方向に働くのは無理ない事・・・。なんて書いている内に何んだかトホホな気持ちになってきたのはどうしてでしょう。国友学園前理事長籠池氏、そして文科省前事務次官の前川氏は、いずれもその職を辞した後で証人喚問、記者会見をしました。どちらもスネに大きな傷(疑惑)を持ちながらの会見は、正義感気取りの雰囲気を醸し出していましたが、当事者が就いていた地位と立場は、世間から恩師と目される教育者及び教育行政のテッペンにいた人物でした。特に事務次官であった人の下で働く人間たちは、ありったけの忖度で組織を守っていたはず。在任中に国民の税金(事務次官の報酬)で援助交際をしていた人物の言葉を一体誰が信じるというのでしょうか。「決められない」のも困るけど「決められる」のも嫌だなんて、日本人の「どちらでもない」とする中庸文化は世界の七不思議でしょうが、エゴ丸出しのこの2人は同世代のツラ汚しです。1999年公開の映画「インサイダー」予告篇。
https://www.youtube.com/watch?v=5rkvxi5hdbA
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