C調言葉ってイ〜ね
今の世の中、言葉の使い方の定義や文化的品格に関しては、ほぼナイに等しいのではないでしょうか。これもIT社会の功罪なのか、あまりにも品の無い言葉使いと諺や四文字熟語、例え話の貧困さには目を覆うものがあります。日本語が話されているのだからいいじゃないかといえばそれまでですが、語彙にセンスと深みのない事に気持ちがフラットするのです。1977年、私は進学のため、神奈川県川崎市内の定食屋の2階に下宿することになりました。私の部屋は、20以上ある中の階段に一番近い角部屋で、水道と便所が共同(当時は主流でした)の、ドアノブと鍵穴が真鍮色した昔ながらの4畳半。新しい生活に胸膨らませるも、地方出身者にとっては言葉使いが心配です。5月の連休が過ぎた頃、油断した訳ではないのですが、田舎者のベールが剥がれます。学校に行く前に朝定食を注文した時でした。「もっと楽にしゃべっていいよ」私の注文を聞いた厨房のオジサンは笑いながら言います。「もう『ですます』で言わなくていいから」それに気を許した訳ではなかったのですが、次に出た言葉が訛りました。コンプレックスが何倍にも自身を縛ります。TVドラマのようなきれいなカッコいい会話なんてまだまだ無理だったのです。その後も頑なに『ですます』で通した私の評判は、すこぶる真面目な学生だったのですが、それも夏まででした。川崎や横浜で知り合った人たちは言葉のお尻に「じゃん」をつけるのが普通でした。加えて「べらんめえ調」で「C調」なのです。私がTVやラジオでチェックした話し方と大きく違うことに戸惑いながらも、そこは順応性に長けた私のこと、秋口には「3代住めば江戸っ子」的なものの言い方でしゃべっている自分がいました。あれから足掛け40年、その私も近頃のTVドラマのセリフ「寝た子を起こすな」「公衆の面前で」「近寄る悪い虫」などが古びたセリフに分類されていることにガッカリするのですが、自ら磨いてきた「ネイティヴスピーカー」が時代にマッチしない現実に、クレイジー・ケン・バンド(タメ年だよ)横山剣さんの「イイね」が妙に私を癒すのです。
https://www.youtube.com/watch?v=BZb9TdQaRWM
コメント