マーケティングがアスリートを蝕む
オリンピックイヤーの今年ですが、8月のリオ開催までは、スポーツビジネスの表裏がドラスティックに炙り出される年でもあります。競技によっては世代交代の印象が色濃くうかがえるのですが、スポーツ界に多大な貢献を残した選手の引退会見には一重に「ご苦労様」と労う気持ちになるのは日本人としては当然です。しかし中には現役に拘るコメント「次のオリンピックでメダルを目指します」なんていうピークを過ぎた選手のコメントを聞くと、可哀そうになるのと同時にスポーツビジネスのアコギな面に嫌悪するのです。これはスポーツビジネスを学べば理解することですが、そのきっかけを与えてくれたのがMLBでした。米国スポーツ界の冷酷な判断に対して、裏付けを得たい私は、彼らの論文を読んでいく内に人間の心身のメカニズムを知ることになります。先ず、何よりも人体の組織と年齢の相関関係を最重要視していることです。競技によって限界年齢を数値で割り出し、契約を明確にするシステムは米国ならではのもの。スポンサーに名乗りを上げた企業は選手の実力もさることながら、彼らの年齢とネームバリューを含めたイメージに関心を寄せます。選手に広告塔の役割を担わせることが目的なので、契約の期間中、一番嫌われるのは怪我などで競技に出場できなくなること(ドーピングや印象を損なう行為も)です。プロアマ問わず、見てくれが良くて、一定の成績さえ(競技による)残せばスポンサードは継続され、マスコミからは重宝がられ、所属先からも経済的支援を得られるといった一石三鳥の仕組みにより、アマチュア選手はメダルを、プロは優勝を目指すことで成立するこのスポーツビジネスモデルも「次のオリンピックでメダルを目指します」とした件(くだん)の選手の言葉が、説得力に欠けたのは必然的でありましょう。日本人がスポーツを考える場合、合理的思考より情緒的感情に流されがちですが、企業とメディアにとってはありがたい文化なのかも知れません。
https://www.youtube.com/watch?v=4cHX-UXMOPo
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