子どもたちの未来
昨日からやるかたない気持ちでTVを見ることに。議事堂前のデモ集会でシュピレヒコールする若者たちと共に唱和する人々に私は「うむむ」な気持ち。その行動に羨望と空虚を同時に感じるのです。中に子供連れのママたちの姿がありましたが、子供たちは夜遅くまで親と一緒に叫んでいたのでしょうか。訳も分からず親の言う言葉を唱和していたのでしょうか。私は、その子たちの10年後や15年後を考えます。はたして次代の日本をリードする人たちの脳裏にはどんな風に世情が刷り込まれていくのでしょうか。子供の記憶は鮮烈に残るものです。デモ集会での緊張感は独特のムードを醸し出します。何人の子どもたちがその場にいたのか知りませんが、非常に気がかりです。私自身にも子供がいますが、親の背中を見て育つのですから、将来今よりも大きな意見の相違で国を分けるような事にならないようにと思うのです。どちらも極論と極論のぶつけあいになっていて、国民の側は安保法案のディテール論までを理解するに至っていないのは事実だと思います。戦後70年間の信念も大事ですし、世界の変化に向き合う国になることも大切。解釈によってどちらにでも振れてしまうような極めて重大な国会審議に関して、この私が書けるのはここまでです。ただ、日米安保があるからこそ護憲を言えているのだと考えますし、これが世界のパワーバランスの一翼を担っていることは常識です。隣国の共産主義(覇権主義)を、どの手段でどこまで牽制抑止するかの妙案に行きつかないのは議院内閣制をしいている我が国では仕方のないことかもしれません。
コメント