棄て去った時間にリベンジされる
師走にもかかわらず全国的に暖かい日が続くせいなのか、さっぱり年末感を感じない。今週が終われば12月も3分の1が終わるのだが、こんなに早く時間が過ぎ去って良いわけはない。若い時分は時間の過ぎるのが惜しいと思ったことはなかった。自分にとって有利になることは早くその時が来るまでひたすら日々の時間をやり過ごしたし、嫌なことは時間が解決してくれるはずだと碌に向き合うこともせず、過ぎていく日々の時間を大切にしなかった。今、年齢を重ねて気づくのは、自分の都合のいいように時間を出し入れした過去の<棄てた時間>からリベンジされていることである。若いころに時間を疎かにした罰?が衰えという形でフィードバックされるなんて、なぜ人生の先輩たちを注意深く観察して学ばなかったのだろうか。昔、混んでる電車の中を中年の男が大汗をかきながら入ってきて私の隣りに立ったことがある。その途端に整髪料の匂いと体臭に思わず息が止まったが「オヤジ臭」は瞬く間に電車内の不快指数を100%にして周囲をたじろがせた。その中年男の異様な顔と腹のデカさも印象に残ったが、この時の記憶は鼻の方が鮮明に憶えている。「オレはこんな中年オヤジには絶対にならない。」と心に誓ってから随分と時間が経ったけれど「あのときの中年と今の自分はどうなんだろうか。」今さら時間を惜しんだところでセンチメンタルな気分は溜息となって消える。分からないことがあると調べて確認するタイプの人間だった私だが、人間という生き物が本来どの時点でどこの部分がどういう風に衰えていくのかを事前に理解していたなら、もっと上手に対処できたはずだった。「中年オヤジにはならない。」忍び寄る衰えのロジックを理解した時はもう世の中の中心にいる世代ではなかった。
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