マイケルとボビー
五反田に事務所を構えた私のところには、仕事の依頼がどんどんきます。不思議に感じる余裕もなく打ち合わせによく行った場所は六本木。スタジオワークも六本木でしたから、時間に無頓着なこの私も、精神的には楽でした。華やかさでは負けない世界です。やはりここは六本木がカッコいい。五反田に事務所を置いたのは、当時築地にあった電通さんへ行くのに一番便利だったのが都営浅草線でした。(自宅も沿線沿いにありました)1989年以降、航空会社、通信会社、HMV、各TV局が主催するイベント、Vシネマ音楽、モーターショー、幼児教育ビデオ等あらゆるジャンルのオファーに応えました。1991年秋、スケジュールが縦になる日々をこなしている私のところに、思いもよらぬ仕事が打診されます。外国人アーティストの来日コンサートライブの映像の仕事です。しかもONAIRされる予定があるとのこと。そのミュージシャン名を聞いた私の心はドクンと震えました。大学時代にロックバンド活動をしていたころ、擦り切れるほど聴いていたAORミュージックの両雄「マイケル・フランクス」と「ボビー・コールドウェル」だったからです。
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