鶴の恩返し 作曲家たちの織物
新しく書いている楽曲が中々仕上がらない。創作活動をしている人、又はしたことのある人なら無から有を生み出す「創作苦悩」はご理解いただけることと思う。今から30年前の秋、私は東京五反田で小さな音楽制作会社を設立した。会社を起業するまでの経緯は過去に色々と書いたのでここでは省略するが、先日ジャニーズのタッキーが芸能界を引退してプロデュース業に専念するのだとワイドショーが報道した。スターは余程の事情が無い限り表舞台から降りないけれど、そこは天下のジャニーズ、きっとマルチな意図が隠されていることと思うが、この私もレベルこそ違うものの同じ境遇を経験した。話を戻すが、私が会社を起ち上げた1988年当時の東京はバブル真っ只中で、仕事は音楽制作だけに留まらず、VP(ビデオパッケージ)映像や音楽イベント、果てはナレーターやCMでの端役出演までと多岐に渡り、システム手帳のスケジュール欄が縦に重なるほどに多忙を極めた。俗に言う「ええじゃないか」という東京と業界のノリは毎日感じられてはいたが、この多忙さはこの後もずっと続いていくのだという根拠のない自信が私を覆っていた。(1992年バブル崩壊)何でも断らない主義の仕事スタイルは小さいころから培ってきた器用貧乏のお蔭だったが、特に作曲家との仕事は何にも増して自信があった。学生時代から行ってきた創作活動に縁を切って裏方に回った私にとって、彼等の曲づくりが「鶴の恩返し」になる場合を手に取るように理解していたからである。締切日に連絡すると「もう少し待ってほしい」や「こっちから連絡します」が常套句、でも一番最悪だったのは「出来ない」と嘆く作曲家だった。「出来た分だけでも下さい」仕事に穴を空けることは”死を意味する”業界である。「私の方で足りない曲をカバーしますね」こう言って作曲家をなだめながら会社にストックしてある6ミリテープを持ってスタジオに飛び込んだことは一度や二度ではない。しかしここからが私の真骨頂で、ディレクターやエンジニアからの質問にも平然とした顔で手持ちのストック(流用した曲)を新曲と同じように説明できることだった。無から有を生む仕事に携わっている全ての人々は「鶴の恩返し」を誰にも言えない。
https://www.youtube.com/watch?v=DNKiF2S6T_U
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