日大タックル事件 法廷まで行く恐れ
「僕は面従腹背という言葉遣いを思いました。本当は違うんだなと。なぜ文書でないといけないのか、わかりません」早朝の情報番組でのコメントは我々にヒントを与えます。19日、日大の内田監督が「悪質タックル事件」を記者の囲み会見で謝罪表明しましたが、記者の核心を問う質問に「すべて先方に文書で回答します」とのはぐらかしは、学内でも人事権を持つNo.2の言い方ではありませんし、空港で立ったままの会見も国民の印象を悪くしました。相手の関学がきちんと会見したように日大も正式な会見を開くべきでしたが、内田監督が再三「文書で回答」と繰り返し話したことに何の意味があるのでしょうか。内々に手を打ちたいとする意志表示よりも、その文書が簡単にマスコミの手に渡ることや、SNSで世界に拡散されることを想定できない日大の脇の甘さを感じるのです。「火に油を注ぐ」という言葉がありますが、文書での回答がTV映像の何倍も整合性のある証拠として残ることを考えないのが不思議なくらい。文書の中身によっては被害者が告訴する場合もありますし、行間を深読みされての「部員の不正入学」疑義や、巷間伝わる、文科省からの補助金欲しさに毎年水増し合格させていた数を従来の60%程度に縮小させたこと、それに伴う措置として、教鞭をとる講師たちを理不尽に辞職させていることも明るみに出そうで、このタックル事件、マンモス大学である日本大学の化けの皮が剥がれる格好のスキャンダルに発展しそうです。大学創立130周年のアニバーサリーが汚れたカネまみれの構図だとすれば、日本のメディアは正しく報じられるでしょうか。 内田監督会見。
https://www.youtube.com/watch?v=Z0ct-WDtYfk
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