万死に値するタックルと篠竹イズム
アメリカンフットボールは米国が発祥のスポーツ競技ですが「ショットガン・フォーメーション」というパス攻撃を目的としたプレースタイルを最初に使ったのは1960年、NFL(ナショナルフットボールリーグ)のサンフランシスコ49ersというチームでした。日本でこの作戦を有名にしたのが日大アメフト部監督だった篠竹幹夫氏。1959年、日本大学アメリカンフットボール部監督に就任した篠竹氏は、NFLの49ersが十八番(オハコ)にしていた攻撃作戦「ショットガン・フォーメーション」をいち早く導入、2003年3月、定年により退職するまでの44年間の監督在任期間中、部を17度の学生王座に導くなど、日大アメフト部の黄金時代を築いた名監督でした。私の大学在学中も「東の日大、西の関学(関西学院大学)」又は「赤と青の対決」などと言われ、名実ともに優勝を争うライバル校であることはファンならずとも知られた両校でしたが、昨日ニュースになった定期戦での「殺人タックル」は誰が見ても退場、いえ出場停止の重い処分では済みそうにありません。昨年12月の甲子園ボウル優勝は27年ぶり21度目の栄冠でしたが、内田正人監督のコメントが印象的です。「27年ぶりの優勝というのは、僕が篠竹監督の下でコーチをやっていた時が最後、正直に言うと長くて苦しかった。僕がやっているのは、篠竹監督がやっていたことをアレンジしてきただけ」恩師である故・篠竹幹夫元監督の“教え”を継承した指導が実を結び、監督として甲子園ボウル初優勝となったのですが、しかしながら、亡き篠竹監督はきっとこう言うでしょう。「義理と人情と礼節はどうなったのか?」<篠竹イズム>と言われた闘将の口ぐせを内田監督は忘れてしまったようです。日大、関学との定期戦で「殺人タックル」
https://www.youtube.com/watch?v=dknEe3i13HI
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